第1次大戦直後の日本軍艦のキット

ディスプレイモデル

第1次大戦直後(1920年ごろ)の帝国艦隊の雰囲気を味わってみませんか?

ウォーターラインシリーズをはじめとする艦艇キットはWW2時代の艦艇が多いですが、少数ながらWW1前後に就役した艦艇もキット化されています。

この記事はそのような艦艇のキットと、1920年ごろに姿に合わせるための簡単な改造法も紹介します。

なお、各キットに対する時代考証は厳密ではありませんのでご了承ください。

金剛型巡洋戦艦(1913年1番艦竣工)

WW2で大活躍した金剛型4隻ですが、1番艦金剛の竣工はWW1勃発直前の1913年です。大戦中には4隻とも東シナ海や南洋などの警備行動に出撃しています。

WW2の時と一番違う所は艦橋が三脚檣であることです。ほかにも煙突が3本だったり、主砲上の測距儀が小さかったり、航空兵装が未搭載など、様々な場所を改良していることがよくわかります。


長門型戦艦(1920年1番艦竣工)

これ以降の艦はいずれも八四艦隊計画に含まれます。

金剛からわずか7年後に長門が竣工しています。当時は戦艦が毎年1隻以上のペースで竣工しており、恐ろしくハイペースです。

長門型は竣工時から艦橋が檣楼形式でした。新造時の金剛型と比べると見た目上の違和感が小さいかもしれませんが、艦橋内には探照灯が満載されていたりと時代の変遷を感じられます。

入手可能なキットは竣工から7年後、第1煙突を屈曲させる改造を施した姿を再現しています。

新造時に改造する場合は、屈曲煙突を直線にし、スプーン型の覆い(煙の逆流防止のため)を付けることになります。


天龍型軽巡洋艦(1919年1番艦竣工)

日本初の軽巡洋艦に分類された艦です。水雷戦隊の旗艦としての役割が期待されましたが、後継艦の就役に伴い1928年から中国方面の警備などに従事しています。

元々艦型が小さくて改装の余地がなく、ほとんど竣工時のままでWW2に突入しています。

つまり竣工時の姿にするには小規模な改造でよく、キットからの改造点は以下のところです。

  • 三脚マストを一脚(単檣)に変更
  • 3番砲塔前の方位測定室を撤去
  • 艦橋トップの羅針盤橋の天井と側面をキャンバスに変更

後述する峯風型駆逐艦と艦隊を組ませるのがよいと思います。


球磨型軽巡洋艦(1920年1番艦竣工)

当時の種別は二等巡洋艦。天龍型の拡大型として設計されました。球磨型はWW2勃発まで多数の箇所が改装されています。例えば球磨は、WW2当時のキットからの以下の箇所を改装することになります。

  • 竣工直後の改装を新造時に戻す
  • 前部マストの魚雷船指揮所を撤去
  • 3本の煙突トップのふくらみを平らに(雨水除去装置の撤去)
  • 1932年~の改装を新造時に戻す
  • 艦橋屋上の羅針艦橋の側壁と天蓋をキャンバスに変更。艦橋左右の見張り所を撤去
  • 上部艦橋平面(羅針艦橋の1甲板下)の後方を縮小
  • 前部マスト三脚内の無線電信室を撤去
  • 前部マスト中段の測的所の1段上にある前部見張所を撤去
  • 5番砲と6番砲の間のカタパルト、デリックを撤去
  • 後部マストの探照灯2基のうち1基およびその下の見張り所を撤去
  • 短艇甲板のうち後方(後部魚雷発射管上)に延長された部分を撤去
  • 1935年~の改装を新造時に戻す
  • 前部マストを伸長
  • 舷外電路を撤去
  • 主砲上の機銃を撤去
  • 1番煙突両舷の機銃を8cm高角砲に

……追いきれないです。あえて球磨型を改造するのはお勧めしません。


峯風型駆逐艦(1920年1番艦竣工)

続いて駆逐艦です。

1918年から1921年に起工、1920~1922に竣工。球磨型とともに水雷戦隊を構成する艦として建造されました。艦首から来た波を落とすためのウェルデッキをもっており、特型などWW2時に活躍した駆逐艦とは外見が大きく異なります。

速力は39ノット以上と高速でした。特に4番艦島風は40.7ノットを発揮した高速艦とした有名で、WW2で活躍した2代目に名前が引き継がれました。

紹介しているピットロードのキットは、対空強化のための改装を行った後の1945年時の姿を再現しているので、竣工当時の姿を再現するには以下の改造でよいようです。

  • 機銃になっている2番砲、4番砲を復活
  • マストの電探を撤去
  • 艦橋前および甲板上の機銃を撤去
  • 2番煙突前、4番砲前の機関銃座を復活
  • 前部(艦橋前)及び後部(4番砲前)の魚雷発射管を復活

ジオラマでは水雷戦隊として軽巡と艦隊を組ませるとよいですね。


樅型駆逐艦(1919年1番艦竣工)

峯風型駆逐艦より小型な二等駆逐艦として建造されました。

兵装は峯風型と比べて主砲が1門、魚雷発射管が1基少なく、速度も36ノットと若干抑えられています。本型は合計21隻と多数が建造され、竣工後は戦艦部隊の直衛任務に長期間就きました。ジオラマで金剛型や長門型の随伴艦として並べるのもいいですね。

リンク先のキットはハセガワ製なのですが、1970年代のキットらしく、実艦より全長が短いなどの間違いがあり評判がよくありません。wikipediaには特に改装に関する記載はありませんでした。

箱絵に三段甲板の空母(赤城と思われます)が書かれているので、1927~1935年までの姿をキット化したものと思われます。

樅型駆逐艦

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